オントロジー

オントロジーとは、西洋哲学の『存在論』を指します。

「なんで、ここで哲学?」と思われる方、正常です。

私の場合、どっかズレています。
バイオダイナミックスで、「ヘルスで終わり」と言われると、
その先を知りたくなります。

そこで、様々な領域にヒントを探しに行きました。

永平寺で座禅をしたり、
クンダリーニヨガを習ったり、
カトリックのミサ、プロテスタントの礼拝、

果ては、イスラム寺院に行ってメッカに向かって祈ったり、
さらに気功をやってみたり・・・

結局、今行きついたのは西洋哲学の存在論です。
特に20世紀最大の哲学者であるハイデガーの存在論が
メトロノーム・メソッドの最深部です。

ハイデガーは「存在」と「存在者」を分けました。

これは、西洋哲学の根本問題の一つである

「在るとはどういうこと?」

という問いに対する様々な考えです。

英語で
1.This car is red.
2.There is a red car.
は同じ「is」というbe動詞を使っていますが、
レベルが異なります。

1.を言うには2.が前提になっています。
1.のisは存在者(car)の属性や特徴を表します。
2.のisは赤い車が「在る」ということを表します。

言い換えると2.が前提されていないと1.も言えなくなってしまうのです。

そういう意味で存在者よりも存在の方がより基底部にあり、
同時にメタレベルにあります。

神が居るかどうかを論ずるには、
前提として「居るまたは在る(存在)」ということは
どういうことかを論ずる必要があります。

言い換えると、ここまで話してきたことを
科学的に存在するかどうかを実証すること自体が、
まず「存在」とは何か?という問いに答えなければなりません。

それは科学には不可能な領域です。

そしてヘルスのレベルをさらに潜っていくと
「存在者」ではなく、「存在」の領域に入っていきます。

「ヘルスが在る」というレベルは存在者のレベルです

オントロジーレベルに至った時に
最も根源的な自然治癒力に向き合うことができます。

それは漆黒であり、純白であり、
眩い太陽の光であり、揺蕩う闇の海であり

体験する人ごとに異なる体験になります。

オントロジーレベルに入ると、
治療者は患者さんの脳を見失います。

ヘルスまでは、脳の実質を感じながら
治療できたのが、『空っぽ』に感じます。

脳と言う『存在者』が消えてしまいます。

そして、『存在』が現れてきます。

ヘルスも存在者です。
そのヘルスの前提となっている
存在のレベルです。

つまりヘルスを越えます。

メトロノームメソッドにおいて
最も根源的な治癒の源です。

このレベルでは、
治療者も存在者としては『空っぽ』で、
患者さんと同じ存在の
レベルに入っています。

オントロジーレベルに入るにはどうするか?
と言う事についてお話します

まず、治療者は瞑想が必要になります。
シュニヤ(空とか0を意味する)という
クンダリーニ・ヨガで行われる瞑想です。

シュニヤの瞑想を行うことで、
自分自身の輪郭が失われていきます。

自分自身の輪郭が失われていくと
スティルネスに入ります。

その状態で、さらに自分以外の
モノの輪郭が無くなっていくのを
感じます。

その感じが座っている場所、
家、地面、地球、月、太陽、宇宙、世界
と広がっていくのを感じます。

そして全てが輪郭を失う『純粋質料』
とも言うべき状態に入ります。

さらに、『純粋質料』という概念も
無くなっていきます。
存在者としての

『絶対無』

とでも言いましょうか。

その存在者としての絶対無に至ると、
そこは

『絶対存在』

と呼ぶべきレベルです

そこで、患者さんの脳を見ると
『空っぽ』に感じます

オントロジーレベルを
構成するもの(由来するもの)について
お伝えします。

オントロジーレベルは、
西洋哲学の存在論に由来しています。

古代ギリシア哲学者であるアリストテレス
そして20世紀の哲学者ハイデガーの存在論が
ベースになっています。

そして、その存在論を実践レベルにしてくれたのが
前回お伝えしたクンダリーニ・ヨガの瞑想であるシュニヤの瞑想です。

一つずつ説明します。

ハイデガーは、『存在者』と『存在』を分けました。

これは以前にも説明したように
1.「この車は赤い」(車の性質や属性)
2.「ここに赤い車がある」(存在)
が異なるレベルである事です。

1.は2.が前提になっていないと言えません。

ここで、どうやったら2.に行けるか
という事が前回のテーマでした。

そこで、シュニヤの瞑想で、
自分の輪郭と世界が溶けるという体験をします。

これの基になっている考えが
アリストテレスの存在論です。

アリストテレスは、
存在するとは

「形相form」と「質料material」の統合

と主張します。

シュニヤの瞑想は形相が消えて、
質料だけになることです。

別段不思議なことではなく、
すべての物質は素粒子でできていると考えれば、
見た目の形相は
単に人間の感覚でとらえた結果に
過ぎないとも言えます。

そうすると前回お伝えした『純粋質料』になり、
そしてこのような概念さえも無いと考えたとしたら、
そこには『存在者の絶対無』と言えます。

その裏返しとして、『絶対存在』が現れてきます。

まとめると、

シュニヤの瞑想
ハイデガーの存在論
アリストテレスの存在論